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忌野清志郎の才能の源泉
2009年春、清志郎の訃報を耳にして酷くショックを受けた事を思い出します
嘗ては熱心に聴いていた時期や 何枚かのアルバムも所有していますが生前はそれ程熱烈なファンと言うほどでもありませんでした。
それなのに自分でも不思議なほどとても淋しくて心に穴が開いた気持ちになりました。
何故なんだろう?その後、いくつかの音源や映像を集め聴き直す事によって改めて気づく事が沢山ありました。
忌野清志郎とは
サイケな衣装とメイク、独自のヴォーカルとリズムで80年代日本のロックシーンを牽引したRCサクセションのフロントマン。
数多くのライヴをこなしキング・オブ・ライヴと呼ばれた清志郎のスタイルはその後の日本の多くのバンドに影響を与えます。
ライヴパフォーマンスはRC以前と以降と言われる程日本のロックシーンに影響を与えたカリスマバンドでした。
RCのフロントマンとしてではなく、ソロとしても或はRC解散後もいくつかのバンドを結成して多くの名曲やヒット曲を生み出しております。
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また楽曲提供も多く井上陽水や吉田拓郎等の往年のフオークソング界から、郷ひろみ、沢田研二、TOKIO等のアルバムにも清志郎の作品が起用されています。
多くのJPOPバンドはブルーハーツやBOWYに影響を受けていますが、彼らはRCサクセションや忌野清志郎に影響を受けたバンドやミュージシャンたちであることからもその偉大さはお解りいただけると思います。
若き日の清志郎はTVに出れば過激なパフォーマンスや歌詞で物議を醸し、音源は度々発売禁止になったりと“尖って危険な”なイメージがあります。
後年はシャイな素顔でしばしばTV出演をしたり、癖のある人物役で俳優としてドラマや映画にも出演していたりとミュージシャンとしての彼を知らない人には不思議な存在だったかもしれません
本当の事を知りたかったという思い
どうも変だと思っていた・夜になるとすごく悲しくなったりしたからさ・何故なのか解らなかったけれど・すごく変な気持ちで・布団の中で泣いたりしたのさ・枕を濡らしたりね・(中略)お父さんもお母さんもいるのに・何か誰もいないような気がすることがあったのさ・楽しい日々を送っていたけれど・ときどきそんな夜がやってきてしまうのさ・取り残された嫌な夜(どうも変だと思っていた:詩集ネズミに捧ぐ詩より)
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忌野清志郎の本名は栗原清志、東京ガスに勤める父栗原康平、母久子の一人息子として愛情を持って育てられています。
清志の父母に対する思いは後の私小説や詩集から慈愛を受けて育った恩愛を感じる事ができます。
然し本人には知らされていませんでしたが清志は養子であり清志が3歳の時に亡くなった母久子の妹が産んだ子だったのです。
この時1歳になる弟も居ましたが弟を実の父親が引き取り、子供のいなかった姉夫婦が養子縁組の形で清志を引き取ったのです。
時々現れる遠い親戚のおじさん(後に解るがこれは清志の実父だった)、気づかれはしないかとそのおじさんにやきもきする父母や親戚の人達に幼き清は違和感を感じていたようです
母親は高校時代に学校に登校せずにギターばかり触っている息子の事を心配のあまり朝日新聞の読者相談に投稿し掲載されます。
とても微笑ましいエピソードですが悩みながら清志を育てた客観的な愛情表現を感じる事ができるとも言えます。
「本当の事を知りたい」と言う思いと葛藤が清志の才能の源泉となります、それは後の音楽のスタイルに一貫して現れる事になります。
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RC全盛期の元マネージャーで衣装担当片岡たまきさん、直近で見続けた人間清志郎の姿が赤裸々に描かれています。ファンなら絶対に読んで欲しい1冊、ますますボスの事が好きになリます
素晴らしすぎて発売できません
1988年収録を終えたRCサクセションのアルバム「カバーズ」が発売中止となります。この作品の発売中止を伝える新聞広告が出されます。
お詫び:RCサクセションの新アルバム「カバーズ」は素晴らしすぎて発売できません
このアルバムの中には原子力を激しく批判した作品や大韓航空機爆破事件を唄った作品が収録されており発売元のレコード会社(東芝EMI)は問題の作品のカットを要求します。
何かの圧力がかかっている、清志郎はそう感じつつも話し合いは平行線を辿ります。
真相は親会社の東芝は原発炉の製作事業を行っておりその圧力によるものと言われていますが、或は影響力のあるバンドに対してもっと大きな(政治的な)圧力があったとも考えられます。
レコード会社側との話合いの中でその理由を「このアルバムは素晴らしすぎてとても発売できない」
とのあいまいな発言に怒った清志郎は。それじゃそのままの言葉で新聞広告を出すように要求します。
このアルバムは後にインデイーズ系より発売されてチャートの1位を記録します。
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忌野清志郎の予言「地震の後には戦争がやってくる」
2014年8月16日朝日新聞に一冊の本が紹介されます「瀕死の双六屋」(小学館文庫)
2000年に発売された清志郎のエッセイです、この中で阪神大震災の経験をもとに書かれた文章には、後の東北大震災後に起こる原発問題、憲法9条改正等まるで予言するように現代の日本が直面する時代を見越したメッセージや言葉が溢れています。
政治に対する不自然さ、画策された社会の仕組み、清志郎は絶えずそういった違和感に真実を知りたいと言う想いをエネルギーにして来たアーチストだったのです
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自分を信じて生きた人生
どうしてそんな事を歌うんだい?・もっといい事歌えよ・(中略)でもせっかくお客さんの前に出て歌うんだぜ・お客さんがジーンときて・ホロリとするようないい歌とやらと歌うよりも・まあそんな歌は誰かに任せといて・それよりも普段思っている事や考えているアイデアを歌いたいのさ・いくらその歌で盛り上げたって・ステージを降りたあと違った言葉でしゃべってるんじゃ・ちょっとな・・・そいつはサギみてえだろ(どれがいい歌?:ネズミに捧ぐ詩より)
幼き頃の清志は絵を描く事の好きな少年でした、多くの絵を描き漫画家を夢見る少年だったようです。
その才能は絵画を学び自由に描く事で更に伸び伸びと上達します。
高校に入学すると将来は絵描きになろうと本気で思っていたようです。然し絵画の技法や美大に進むためのテクニック、セオリーに直面すると絵画を学ぶ事に嫌気を覚え辞めています。
一方で音楽の成績は小・中学時代一貫して「1」だったそうです、高校入学と同時に心配した母親の勧めでピアノ教室に通います。譜面を読無テクニックを身につけ成績も上がりましたがこのことはあまり嬉しい感情はなかったと言います。
中学から夢中になっていたギターは譜面が読めても読めなくても、学校の成績が良くても悪くても、ギターを弾くのに信じられるのはテクニックではなく自分の耳だけだったと語っています。
出典:日本文教出版
清志郎画伯の絵は今や中学校の美術の教科書で教材にもなっています
また自分の声も大嫌いだったと回想しています、
あの独特の声は子供の頃から目立っており同じ様に騒いでいても特徴のある自分の声のおかげでいつも叱られるは自分ばかりだと思っていたそうです
しかしある人から「気味の声は黒人みたいだから、こういった音楽を聴きなさい」と言われソウルにハマります。それ以降嫌いだった自分の声を武器としてバンドマンを目指します。
こういったエピソードは清志郎が既成概念に囚われず自分を信じ信念に従った生き方を貫く人生に繋がります。そしてそれは音楽性にも表れます。
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ロックを自分の仕事に置き換えるとそれに向き合うメンタルに響くビジネス書としても秀逸な一冊
2度目の発売中止アルバム
ソロアルバム「冬の十字架」がまたしても発売中止となります。収録されていたパンク風にアレンジされた「君が代」が問題になったのです
「俺は右でも左でもかまわないだ、そんな事はどーでもいいんだ右にどんどん廻ってみろやがて左に来ているのさ、地球は丸いからね」(著書:瀕死の双六問屋より)
反戦・反原発・反資本主義ともとれる清志郎の書く詩や、当時では不謹慎と取られた「君が代」をパンクアレンジなど左翼主義と誤解されそうですが、清志郎自身は右でも左でも、特別な信心もない人でした
出典:amazoan
パンク調にアレンジした「君が代」が問題となり2度目の発禁となったアルバム「冬の十字架」ジャケットは実家の茶の間で撮影
“君が代”を音楽として意識した場合それをどうアレンジをするのかは自由であり、音楽家として国歌を扱って見たかっただけ。タブ―視することでもないし、音楽家として興味を持たない事の方が余程問題である
と語っています。
若き頃、流行りだけで学生運動に参加している同年代の若者達を横目で観ていたきらいがあります。
ロックスターやフォーク歌手はTVに出ないのがカッコイイとされていた時代でもTOPアーチストでありながら俗説には従わずTV出演をして型にはめられない行動や発言で物議をよんだりもします。
清志郎の書く詩は“清志郎”という人の私小説やエッセイです、思った事や感じた事を格好つけずに表現しています。
それは教科書通りやセオリーに縛られた「絵」や「音学」よりも自分の描きたい描きかたで書いた絵が、自分の耳で聴いて納得のできる音が、自分の個性ある声を活かして自由に心情を表現する歌い方が、自分らしくて正しいと理解していたからです。
出典amazon
40歳を過ぎてロードレーサーにはまり日本、世界を旅してます
ボスの愛車オレンジ号
感じた事は全部受留めて観て観ぬふりができない人だったのだと思います
「愛」・「夢」・「希望」・「怒り」・「想い」・「問題意識」思えばどの曲も洗練されたものはなくて何処か泥臭く人間臭いと感じるのは全てが清志郎と言う人の「心の叫び」だからでしょう。
正にソウルマンでありブルースマンだった清志郎の生き方を改めてカッコイイと感じます
ono@comima.info
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