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ハワードシュルツ貧しさからの脱出と本当の想い
小さなアメリカンドリーム
生まれながらに運動神経の良かったシュルツはあらゆるスポーツに興じます、高校時代アメリカンフットボールの選手として認められフットボールの特待生として大学に進学します。
その後、選手としては才能を発揮できなかったシュルツ氏はフットボールを諦め苦学生として大学を卒業後した後に当時はワープロの販売会社であったゼロックスのセールスマンとして採用されます。研修センターで仕事とビジネスについて多くに事を学び学費の返済の為に黙々と働く事で優秀なセルールスマンとしての実績を残すことができました。
そしてそこでの仕事に飽き足らずスエーデンの雑貨を扱う会社ハマープラストに移り、25歳の若さでアメリカの販売会社の営業本部長として役員待遇での仕事を獲得しました
無制限の出張旅費を認められたビジネスマンです、人生の伴侶を見つけ自宅も購入しました。
ブルックリンの低所得者階級出身の若者としてはサラリーマンとしては大成功を収めたと言って良かったでしょう。
ある日、ハマープラスとの取引先にシアトルの小さなコーヒーの小売店が特定のコーヒードリップ用メーカーを大量に注文してきたのが気になりました、電動式でなく手動式の簡単なつくりのドリップメーカーです。
疑問に思ったシュルツはシアトルへ出かけて行き運命的な出会いをします、アラビカ種という高級なコーヒー豆を深く焙煎した香り高きコーヒー豆を販売するコーヒー豆専門店それがシアトルに僅か4店舗を構えるスターバックスだったのです。
当時のアメリカでは本当のコーヒーの味を知る人はほとんどいませんでした、浅焙煎の方がグラムも稼げます、深焙煎には安いコーヒー豆では焦げてしまい商品になりません、コーヒーそのモノの味を追求する人はアメリカにはほとんどいない時代です、コーヒーは嗜好品ではなく消耗品だったのです
スターバックスのコーヒーの味に魅了されそれ以上にシアトルという田舎街で拘ったコーヒー豆を販売し、電気でなく手でドリップをするコーヒーの淹れ方を啓蒙しながら誇りと哲学を持ち、それを体現化したお店を運営する当時の経営スタイルに惚れ込みます。
手に入れた仕事、収入、購入したNYの自宅を捨て当時のスターバックスに入社しコーヒーショップの店員になりす、貧しさからの脱出、それだけが本当の想いでは無かったのです。
大きなアメリカンドリームへの序章
スターバックスに入社をして暫くして、ミラノの雑貨ショーに出展の為訪れたイタリアでコーヒー文化について2度目の衝撃を受けます。
それは街の角々に立つエスプレッソ―バーの存在。
多くの異なったお店があちらこちらにありますが共通点はどの店も顔なじみのお客様同士の仲間意識とその中心にお客様にもおもてなしの心を持って素晴らしいコーヒーを提供する芸術家バリスタの存在です。
情熱を持って最高級品のコーヒー豆を販売するスターバックス、そこに惚れ込んだ訳ですが一つの弱点を見出していました。
それは商品に自信があるが故の傲慢さです。一部のコーヒー愛好家が家庭で楽しむためのコーヒー豆の提供、愛好家でない一般客に対する敷居の高さがあったのです。
シュルツはコーヒー文化を広めるために顧客との絆を見直す必要性を感じていました。
農産物としてのコーヒー豆の販売だけではなく、コーヒーのロマンスをお店で提供する事とコーヒーの個人的なかかわりと社会的なつながりを提供する必要性を強く感じます。
当時のスターバックスの経営陣は本格的なエスプレッソバーや喫茶店の方向転換を受け入れませんでした。
その夢を実現するために想いをを寄せたスターバックスを退社してバリスタが美味しいコーヒーを提供する理想の店イタリア式のエスプレッソバーを立ち上げます。
独立間も無くシュルツ氏にチャンスが訪れます、あこがれて入社をしたスターバックスが身売りを決意したのです。
独立したばかりで資本力のないシュルツ氏は多くの投資家たちに自分の情熱とビジネスモデルを訴えて苦労してスターバックッスを手に入れ、自分で開業をしたお店を併合する形でスターバックスのCEOに就きます
ここからシュルツ氏率いるスターバックスの快進撃が始まります。
ono@comima.info
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