世の中には癒しの空間を謳った多くのスポットがある。それをどう感じるかは人それぞれだと思うが創られた多くの空間は恣意的で本当の意味で心安らぐ「場」は少ないと感じる
成熟した大人の癒しに本当に必要なのは何かを与えれれるのではなく、何ものにも邪魔されることなく真に自分い向き合える「場」が必要だ
目次
板室温泉大黒屋
そういった「場」とは一体どういう場所なのだろうか?
栃木県板室温泉にある温泉旅館「大黒屋」はそう言った疑問を持つ多くの人が共感を覚える場所として国内のみならず世界中から自分を取り戻しに訪れる温泉旅館だ
大黒屋16代当主室井俊二さん
大黒屋は上質なアルカリ泉の湯治湯として有名な温泉地板室温泉で460年続く老舗旅館。
そこの16代目館主室井俊二さんが提供する「場」は多くのアートを取り入れた静寂の旅館として多くの人たちから共感を受けている
アートと言っても気負う必要はなさそうだ、そこにあるのは静寂の中にマッチングした静かな響き、存在感を主張する作品ではなく、芸術に関する薀蓄も必要ない
室井さん自身が迷いの中で40歳を過ぎてから出合ったアートを素人ながら自分の感性で選び続けたものが展示されており、難しい講釈は抜きに自分が無になれる作品が展示されている
自分の仕事が好きでないと気づいた時から始まった
40歳手前で当時旅館の経営を引き継いだ館主の室井俊二さんは宿泊客に突然こう言われてハタと自分が客商売を好きでないと気づいたそうです
お客はわがままで、それに服従するような仕事、それが嫌でしょうがなかった
まるでお告げのような言葉に素直に従う
そこから芸術を取り入れた経営の模索が始まります
とても素直な人なんですね・・・
それから足繁く画廊に通うが、絵のことは解らないし出会う画家は皆理屈屋で一つも楽しそうでない・・・
そんなことを繰り返すうちに一つの抽象画に出会い心惹きつけられる
村井正誠というその画家の絵を一枚購入し、宿に飾ってみた
するとお客様に劇的な変化が起きたそうだ
廊下に飾った一枚の素朴な絵、それがいいものなのかそうでないのかは誰にも解らないが、ポツリと佇んでいるその絵についてそれぞれがそれぞれの反応を示されるようになったそうだ
理屈で仕事をしては良い空間は生まれない
その若々しいモダンアートが気に入った室井さんはいくつも村井正誠の絵を買い求める。
ある日いつも購入する画廊で画商に尋ねた
これに室井さんは衝撃を受ける
80歳の老人がなぜこれほどの躍動感のある絵を描けるんだ・・・!!
左脳派で理屈で仕事をしていた小室さんはその衝撃から経営方針を一転させる
玄関は緊張感のある方が良い
大黒屋は静寂を楽しむ場所で、それを理解して貰えるお客さまにだけ宿泊して頂きたい。
大切なのはそれを佇まいで伝えること、それは旅館に到着した玄関から始まる
一般的な女将の出迎えなどは行わない
耳を澄ませば水琴窟の音色が聴こえる
音色は静寂の中のアートである
まるで禅の精神のようであるが
風の音、虫の音、川の音、雨の音、素朴なアート、湧き出る温泉
すべては心で感じてほしい、極上の普通の中で普遍なるものを感じる、これが最高の癒しである
鳴かぬなら鳴く鳥探そうホトトギス
話を聴きながら感じるのは、左脳派の室井さんはかなりの理論派です。
多くの芸術家と会うなか理屈で仕事をしては楽しくない、感性を磨くことが重要だと気づきながら自分を変え、経営を変え、選ぶお客様を変え、その葛藤は大変だったと思います
幸か不幸か右脳派経営を目指した室井さんの葛藤はしっかりと左脳的理論で語られています
感性とはなかなか言葉で通じるものではないし、理屈じゃない。変化を理解できないスタッフ達をどう変えていくかが大きな課題となります
結論から言えば言い続けても尚共感できない人には去ってもらう他ありません
こう書くとドラステイックなようですがそのあたりの苦しみは多くの経営者や組織リーダーの方には大いに参考になると思いますので機会があればこのインタヴューを聞いてみてください
ユーザー側からすれば、そこで働くスタッフの人たちの統一されたポリシーとサービスは滞在中大きな共感と安心をもたらす要因となることはまちがいないでしょう
「場」の提供と「場所」の提供は違う
現代アートと出会い、毎日毎日が進歩の連続だそうだ
進歩と言っても単に新しいものを取り入れるという意味ではない
何かを感じてもらう「場」を提供する
そのための試みは常に意識し続けているという意味でだ
木や石、ガラスなどの素材を使って独特の世界を作り出す今では世界的に著名な現代美術家・菅木志雄(すがきしお)さんとの出会い、多くの作品を取り入れるだけでなく、毎年の個展開催や美術館の併設など多くん支援をしてきた
庭も作品の一つ
多くの庭はどこも同じように見える、京風なのだ
それには訳があって、大くの庭氏は京都で修業をする、どうしても画一的になってしまい
なになに風というのが嫌いなんですよ
この庭に違和感を感じる人もいれば絶賛する人もいる
それでいいのだと室井さんは言う
多くの作家たちが活躍する「場」を与え、多くの宿泊客が自分を取りも戻す「場」を提供する
「場」と「場所」は意味が全然違うんですよ
自分を取り戻す、癒しの目的がそれであればお節介なサービスは不調であるただ単に心地よく誰にも邪魔されず自分と向き合う「場」さえあればいい
人が成熟していくた目にはこういった「場」が必要なのではないか
絶対に訪れたい旅館です
出典amazon
ono@comima.info
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