理不尽から学ぶ視点

「理念」について

小野、事業部長がお呼びだ・・・・

 

当時勤めていた会社で、事業部のトップに呼び出された。

 

彼の前に座わると開口一番こう言われた

 

“お店の△△さんに一体どんな接し方をしたんだ、お前の誠意のなさが人権問題になりかねないぞ!”

 

圧倒的なリーダーシップと人身掌握に長けた、私はこの事業部長のことを尊敬をしていた。

 

“相手に思いやりの心を持つことができてない! お前は半端者だ!! だからお前はダメなんだ!!! もっと勉強しなければ人の上には立てないぞ!!!! ”

 

怒っているのか?諭しているのか?

いつもなら何か感じることがある、おまえ呼ばわりも親近感さえ感じていたが、この日は感情もなく、虚ろな目でこの上司の顔を見つめていたことを思いだす。

 

 

 

経営理念を伝える管理職の役割

 

この会社の経営理念は『社員は我が子である』、そしてこの頃、理念とのかけ離れたギャップに僕はとても疲れていた、今にして思えば精神的にギリギリだったように思う。

 

人事部から上がってきた報告では、私の担当地区の、売り手の年配主婦であるパートスタッフが、異動辞令に不満を持ち人事部に直接抗議があり、呼ばれたのは調査をしてきた報告結果を受けてのものだということだ。

 

私は担当で、ある地方を受け持っており、件のスタッフはその市内の旗艦店から隣の県の超不採算点への異動が決まり先日それを告げてきたのだ。

 

確かにこの異動はありえない、彼女は地域の売り上げの主軸店のトップセールスマンである。 J1のトップストライカーを、ローカル地域のJ2へ移籍するようなものなのだ。

 

しかも、市内から電車で1時間以上もかかる県外へのパートスタッフの異動はありえない。

彼女が所属する店舗から異動先にはいくつも店舗はあるし、同一県内の近隣からの異動が普通である、都会で考えられても地方ではこの異動は異例のことなのだ。

 

担当店舗の人事起案書を作成するのは、地区担当マネージャーである自分の仕事であり、例え上層部の意向であったとしても、通常は人事編成ミーテイングで打診があるのが通常だ。

 

数日前にこの地方をタクシーで移動中、突然直属の上司からかかってきた携帯で、決定事項として辞令を伝えるように指示があった。

 

明らかな懲罰人事である、反論のできない圧力があったことを悟り、あらがうことができない自分に虚脱感を感じるとともに、くだらない組織に属している嫌悪感を持った、そして不覚にも後部座席で嗚咽を漏らしていた。

 

経営理念を伝える経営者の役割

遡ること2週間ほどまえ

担当地域が変わったばかりのこの地区を、本社からの社長視察を受けた。そしてその夜、店舗スタッフを集めての懇親会も開かれたのだ。

 

宴もたけなわ、緊張感マックスの状態が少し緩んだ時に、販売力抜群で押しの強いそのパートスタッフが、こともあろうか、社長に意見をしだしたのだ。

 

現場の声を拾うという形であれば済む話だったと思うのだが、歯に衣を着せぬ接客が持ち味の彼女の激しい言葉に会場は凍りついた。

 

担当を引き継いだばかりでコミュニケーションもとれておらず、引きつりきながらも、なんとか場を取り繕い、会はお開きとはなった。

 

通常は選抜した店長たちを引き連れての2次会があるのだが、それは執り行われず社長は同行していた私の直属の上司とともに宿に戻るという事件が起こったのだ。

 

社歴を重ねる中で、万事が社長の顔色を伺うだけの社内風土、売上至上主義の体質に私は疲れ切っていた。

 

「お客様は恋人である」「社員は我が子」・・・経営理念が白々しく聞こえていたが、今回の命令には呆れ果てものも言えない、脱力感しかなかった。

 今の自分ならどうしていただろうか

不思議なことに事業部長の「勝手な言い分」に怒りも悲しみも覚えない。

空疎なまま、説教を聞き、自席に戻り、淡々と仕事を続けた。

今の自分ならこの時どうしたであろう?

 “お前の誠意のなさ・・・”

そう言われても、誠意とは一体なんだろうか?何をどう説明して良いのか全くわからない。

“私にやめろということですか?”と詰め寄る彼女に自分はどう対処したのだろうか?

その通りだと含めたのだろうか?

筋の通らない理屈を述べていたのだろうか?

 

“相手に思いやりの心を持つことができてない、お前は半端者だ!!”

そういう事業部長に、あなたはどうなんですか?私に思いやりのかけらでもあるのですか?と言って席を立てばよかったのだろうか?

 

今にして思えば、当時は明らかに自分のキャパを超えていた、未熟さを感じる。

あれから20数年、この企業ではないが自分自身があの頃の上司や事業部長のような経験を積んできたから振り返ることができるのかもしれないが・・・

 

状況から見て、事の顛末を私の責任として大義を通し、組織的には体面を保つ。冷静に考えれば上層部の考えはそういうことだろう。その後、この件で、私が処分されることも不当な扱いを受けることはなかった。

 

“もっと勉強しなければ人の上には立てないぞ”

という言葉に、にっこり笑って

“とても勉強になりました、ありがとうございます”

と返して、さっさと割り切るか、転職の準備にかかるのか!

どちらかが正解かもしれない。

 今の自分が事業部長ならどうしただろう

相手が信頼出来る部下なら、事情を説明して自分の立ち位置での意見を述べる!

人間関係ができていない部下なら、状況をヒアリングすることに留めるだろう!

黙して多くは語らないのではないかと思う。

振り返ると、この頃の私の精神状態はかなりやばかったと言える。

気をつけならないことはこの部下についてのフォローを怠らないことだろう。自分自身を振り返ると、当時の事業部長と同じようなことはしていないか?そういった態度が取れているのか?反省しなけれなならないこともある。

ことの善悪は於いてあの時、この女性を排除するという組織決定は下されていたと言って良いだろう…

しかし、事を進める人材として当時の私は余りにも弱く、適任でなかったことは間違いない。

気になるのはなぜこの時、時直属の上司を飛び越えて私を詰めたのはどういった事情があったのか?ということだ……

ことが抉れて、この上司を外し真相が知りたかったのだろうか?誰を、何を守りたかったのかはわからないが、私に責任を負わせるにしても、私を守るにしても、絵に描いた経営理念とはあまりにも外れている。

当時よりも多くの処理を求められる立場にはこうした経験を経てこそと思えば感謝すべきかもしれない。

何事も経験だし、当時の事業部長の立場も今ならわかる。

今の自分ならどうするか?

当時の自分ならどうしていただろうかを考えること、決断の判断材料はこうした経験からで答えは導かれる。

成長とはそういうことかもしれない。

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ono@comima.info

おのやすなり 日本コミュニテイー・マーケテイング研究会(通称コミマ) 代表 「社員のための社長史」「現代から見たあなたの過去と未来」「my life my art」などライフストーリーを伝えたいメッセージに変換し、発信を行っています。 1964年生まれ:大学卒業後、宝飾・アパレルチェーンにて、ストアマネージャー、エリアマネージャーとして勤務。その後温浴レジャー事業プロジェクトを計画していた企業に転職。取締役事業部長として複数の温浴施設、飲食店の開発、運営に携わる。 組織運営、顧客との関わりの中で重要な「理念」を伝えることを目的として会社設立。

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