澄み切った凍空はどこまでも青く美しい
目線を下げると目の前に広がる凄惨な街の姿とのギャャップに整理がつかない
震災の街を歩きながら人類の無力さと、作り上げた人知の無力さを感じた記憶があります
圧倒的にリアルな映像に拘った映画「ダンケルク」を観てふと四半世紀前の状況が蘇りました
目次
戦争は自然の摂理なのだろうか?
戦争映画の概念を覆された話題の映画です
映画としては賛否両論です
この映画ではほとんど会話がありません、登場人物の人物背景も背骨となるストーリーも希薄です
屈強なドイツ軍に追い詰められ、ダンケルク港に残された30万人の英仏兵士を救出するために実行された史実の一場面を陸・海・空の視点で描かれて行きます
地上では次々に起こる試練に本能のごとく逃げまとう兵士たち
恐怖に晒され不安を抱えながら時には秩序良く、時には他人を押しのけて海を目指す姿は生き残りをかけて何万頭もの川渡りを行うサバンナのヌーのようにも見えます
海上では、救出作戦に全力を出せない軍に代わり民間の漁船やタグボートが次々に戦場に駆けつけ救出を試みます、ヒューマニズムというより寧ろ生命を繋ぐ動物本能としてのドキュメンタリーのように写ります
空では、見方を爆撃しに来た敵機を撃墜するための3機の戦闘機が命を顧みずドッグファイトを繰り広げます。それはヒナを襲いにきた害鳥を追い払う親鳥、女王蜂を守る兵隊蜂の本能のようです
この映画が特異なのは、目の前に広がる危険や試練を極力感情を排して再現したドキュメンタリーに近い映像手法をとっていることです
生き残るために欺くことも他人を押し退けるのも本能なら、祖国を守る為に死をも恐れない行動も本能なのか?
多くの人たちが死んで行きますが血やグロテスクな描写はなく、敵の姿は登場せずただただ追い詰められて行く人達の姿が描かれます
同じ種別である動物、人間として自分を投影した時に迫り来る恐怖に引き込まれていくのです
ノーラン監督のリアルな映像だからこそ感じたこと
CGを嫌い、徹底的にフィルムでリアルな映像に拘るクリストファーノーラン監督
70ミリIMAXフイルムで撮影される映像はデジタル映像を唯一上回る解像度で映像がとても鮮明で綺麗です
空中で行われる旧式戦闘機も現存する戦闘機に高感度のカメラを積んで実際に飛ばしています
そこに広がる空の青さは本当の美しさが映像として映し出されます
これはIMAX対応の大型スクリーンでみると迫力が全然違います
国内には30箇所ほどIMAXシアターがありますが、大阪には唯一次世代型の劇場がありどこよりも臨場感のある映像ということなので体験してきました。
(事実、クリストファーノーランマニアの人たちがわざわ全国から鑑賞にくるそうです)
戦い、守り、生き残る、生物の摂理
爆撃される渦中の向こうにどこまでも続く砂浜、決死の救出劇に向かう船の船着場の穏やかな光景、大空で繰り広げられる戦闘に手に汗を握りながらも、コックピット越しに映る空の青さ、墜落して行く海の輝きが残酷にも美しいのです
人間が行っている戦闘などまるで関係なく君臨する自然の美しさがノーラン監督の描く迫力のある映像には対比のように写ります
大空で狩を行う鷹と地上の動物、獲物を狙う昆虫、自然にとっては人災である戦争は愚かなる営みのようにも思えるのです
群れをなすヌーの一頭に高感度なカメラをつけて撮影されたような映像から感じた思いはノーラン監督の狙いであるかどうかは全く解りません、決して集中力が切れた訳ではないのにあまりにもリアルな映像は目茶苦茶に破壊され焼かれていく人的に創られた街の上で透けるような青さをしていた震災の時に見上げた空を思い出しました
そして、これはそういった意味でも戦争の愚かさを訴えているように思えてなりません
ono@comima.info
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