自閉症の東田直樹氏だけが知る人間の脆弱な価値観と聴く力

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人の話を真剣に聞くには相手の言葉に傾聴して、相手に寄り添い、相手の言葉を汲み取り、相手と同じ風景を肩を並べて見ることが必要です

もちろん立場や、経験した環境が違えば見える景色は違う、しかしそのギャップがあること自体が意味のあることだと思います

簡単なことのように思えますがこれができる人は多くはない、むしろほとんどいない

なぜならば聞く側の価値観によって寄り添い方や、汲み取り方が違い、肩を並べて同じ景色を見ているつもりが全く違う方向を見ていたり、風景そのものが違ったりするからです

NHKドキュメンタリー・自閉症の君が教えてくれたこと

 

言葉を持つ人間同士ですら困難なことを、例えば愛するが言葉を持たないあなたの大事な猫や犬たちの気持ちがわかるでしょうか?

この番組を観た多くの方は身近にある未知なる世界を、言葉がないと思っていた世界の存在者の言葉に驚かれたのではないでしょうか

猫や犬に例えることを不謹慎だとお叱りを受けそうですがきっと東田氏はユーモアを持ってお許しくださると思います

跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること

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自閉症の僕が飛び跳ねる理由:作家 東田直樹

東田直樹氏は重度の自閉症です

落ち着きがなく、人と目を合わすことがなく、一人でブツブツ言ってるかと思えば突然叫び出したり、ぴょんぴょん跳ねまわったり、とっても不思議な奴です

もちろん会話をしたりコミニケーションを取ることはできず、精神が破綻していて今は色々な学術用語が使われますが一昔前は放送禁止用語になったひどい言葉で一括りにされていたような奴です

彼のような人は必ず我々の周りにもいますよね・・・

だけど

不思議とか困ったとかいうのはあくまでもこっちサイドの価値観でその尺度で精神が破綻しているなんて言うことが、それは大きな間違いで身勝手な言い分だということが東田氏の言葉によって気付かされ、そして本当の意味で自分勝手な我々の心を揺さぶります

壊れたロボットに閉じ込めらて困惑しながら操縦しています

東田氏は言葉に対する能力が異常に高い特質を持っています

独自の紙に書かれた鍵盤をなぞれば自分の考えを言葉にしてしゃべることができます

パソコンのキーボードを叩けば文章にして会話もできます

その言葉は感受性に溢れ機知に富んだ当意即妙な言葉の数々です

目を合わせず、ブツブツ言ったりぴょんぴょん跳ねるのは思いに入り込んだり、感情を表現したりしながらも周囲のことを観察し一瞬のうちに人の心をちゃんと汲み取っているのです

東田氏:あなたたちは言葉と言葉を線で結ぶことができますが、僕たちはそれができません、僕はバラバラに散らばった無数の点を拾い集め思い出しながら鍵盤を抑えているのです

実際にCTスキャンによると左脳側にある弓状束という言葉を話す役割と言語を理解する部分の伝達がうまくいっていないことがわかりました

一方右脳の一部にある他人の意図を汲み取る部分が左脳を補う形で一般よりも発達していることも解ったようです

東田氏:僕は壊れたロボットに閉じ込められてそれを操縦しているようです

彼の感情は言葉としてこのように表現されています

続・自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない高校生がたどる心の軌跡

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人に寄り添うとはどういうことか

見えなかった風景

東田氏が13歳の時に出した自伝が8年後アイルランドの著名な作家の目に止まります

ハリウッド映画の原作にもなった小説も書く世界的に著名な作家デヴィッド・ミッチェル氏

彼もまた自閉症の子を持ち、日々悩む一人の父親でした

長く日本で暮らし仕事をしていた経験があり奥様も日本人ということもあって日本語が理解できるのも幸いしました

私の息子が考えていることが、その疑問の一つ一つが、知りたかったことが、この本に全て書かれている

デヴッド氏は感動に打ちひしがれます

そして、この本を英訳して出版するとたちまち英国中に広まり世界20カ国語に翻訳をされ世界中の自閉症を持つ親たちを中心に話題に話題を呼び世界のベストセラーとなります

世界中の自閉症を持つ親御さんたちは、自分の子供に愛情を注ぎ、悩み、苦しみ、嫌悪しながら寄り添いながら肩を並べてもそこにはどんな景色も見ることができません、想像すらできなかったでしょう

この本が衝撃をもって読まれたことは想像に難くはありません

今回の放送に先立ち2年前に放映された同じくNHKドキュメンタリー君が僕の息子について教えてくれたことでは世界中の親御さんたちのインタヴューが収録されていますがそのどれもが本当に感動的です

 

来日を果たし東田氏に初めて会い、インタビューを行うデヴィッド氏の表情は東田氏を通じてて自分の息子の精神と交信している喜びで溢れいます

人の心を通わすのには言葉以上に大切なものがある、どんな名優でもこんな演技は決してできないでしょう

おそらくこの時のデビッド氏の表情を見ればあなたもそれを理解出来る筈です

 

寄り添うことの意味

デビット:自閉症で一番辛いのはどんな時ですか

僕は自分が辛いのは我慢できます、だけど自分のために悩んだり苦しんだりする人を見るとても悲しくて辛くなります、どうか僕のことで悩むのをやめてほしいのです

デビット:私は父親としてどうやって息子と接していけばいいでしょうか

今のままでいいと思います、彼はお父さんのことが大好きです。お父さがそばにいると嬉しいです

デビット:息子には友達がいません、今後どうすれば息子に友達ができるでしょうか

友達がいればいいと思うのは息子さんの思いですか?僕にも友達はいません、僕はかわいそうに見えますか?

東田氏の言葉は人に寄り添うということの本質を貫いています

人は誰もが自分の価値観で相手を見てしまいます、寄り添うことで大切なことはおそらく何かをすることではなく肩を並べて同じ方向を見ることだけでいいのです

自閉症の僕が跳びはねる理由 (2) (角川文庫)

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ハンデはハンデでしかない

自分に嘘をつくのはしんどい

2年前にこのドキュメンタリーのNHKデイレクターである丸山氏はこの番組の制作終了直後、30歳そこそこの年齢で癌を患い生死の淵を彷徨います

抗がん剤治療を受け、恐怖と戦い、一応復帰をしたものの五年生存率は50%という不安な状況の下で生活をし、続編である今回の番組取材を行っています

丸山氏を気遣う東田氏はこんな質問をします

東田氏:生きていく上での価値観は死を前にした時に変わりましたか

この質問に対して丸山氏は弱弱しげにこう答えます

丸山氏:はい、率直に言えば身の回りのものがいかに大切かということがわかるようになりました

東田氏:僕は人の価値観はそう簡単には変わらないと思います、なぜならそれは積み上げられた人格そのものであり揺るぎようのないものだと思うからです(価値観が変わったとすれば)人にとって生きる上で何が一番大切なことだと思いましたか

そう言われてガツンと頭を殴られた気がしどこか取り繕っている自分を見透かされたような気分で覚悟を決めてこの質問に答えます・・

丸山氏:自分は自分を産んだ親よりも、そのまた親であるおばあちゃんよりも先に死んでしまう、人として大切な命のバトンをつなぐことも自分にはできないのかと思った

東田氏:僕は人の一生はバトンをつなげるものではなく、命は大切なものだからこそ完結するものだと思います、もしもつなげることが目的なら命を繋げない人はどうなるのだろう?バトンを握りしめ泣いているのだろうか?途方に暮れているのだろうか?それを考えると僕はとても悲しくなる、人生を生き切るその姿を見て残された人は自分の人生を生き続ける

丸山氏:僕は言葉を失った、ハンデはハンデでしかない、それも受け止めた上で自分の大切な命を生きろそう言われた気がした

東田氏の発言は文章にすれば理路整然としているようですが映像を見れば感情の表現ができないために、見た目はまるでオウムが覚えた言葉を一言一言をふりしぼりながら話をしているように見えます

フレーズが終わるごとに、おわり〜!と発する言葉が見ようによってはとても滑稽です

なのに散らばった言葉や感情を一生懸命繋げながら発する言葉に引き込まれ、吸い込まれ、共感をし、感動を覚えるのです

自閉症という冠の苛立ち

この文章は2年前、作家として脚光を浴び始めまだ戸惑いと幼さが残る中での東田氏とその後作家活動を続けながら力をつけてきた東田氏、二つのドキュメンタリーを繋げて見て感じることを記事にしています

感情表現ができない(こちらサイドとしての勝手な言い分ですが)自閉症であるにもかかわらず明らかに彼の心境の変化がとって見られます

丸山氏はそれを作家として成長した姿だと言い

デヴィッド氏はそれをいい意味で生意気になったと表現しています

多くの彼らを含めた取材や、求めらるコメントが自閉症としての東田直樹という扱いをし続けることに東田氏は明らかに辟易しているように感じられるのです

彼らは、そして世間は常に自閉症であるハンデキャップを乗り越えてというスタンスで取材を続け、東田さんに求めるものは自閉症の東田直樹が何を語るのかという視点だからです

繰り返される質問に彼はこう答えています

東田氏:丸山さんがなぜそこ拘るのかわかりません。僕は自閉症ですが僕が話す言葉はそれとは関係があるとは思っていません

成長した東田直樹の冒険

千葉県に住む東田直樹氏には北九州市にすむ母方の祖母がいます

彼女はこの数年認知症が進み母親が心配の言葉を口にする度に自分なら祖母の気持ちが理解できるのではないかとの自負が芽生え祖母の元に向います

しかし得意だったきつね色にこんがりと焼いたホットケーキは黒焦げで、ヤカンに火をつけては消し、また火をつける動作を繰り返し困惑をする以前とは違った祖母を目の当たりにして愕然とて千葉に戻ります

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

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自閉症に感謝される日

そんな中、2年前に来日したデビッド氏からアイルランドの自宅への招待を受けます

デビッド氏の同じく自閉症である息子に対面して欲しい、そう言った意味も含めての招待に応じます

再開したデビッド氏、そして彼の息子との対面

結論から言えば東田氏とデビッド氏の息子さんとは滞在中言葉を交わすことはありませんでした

しかし、滞在の最終段階でデビッドさんの息子は東田氏に握手を求めてきました

数秒間ですが握手をする二人

デビッド氏としては奇跡の一瞬です、自分の息子が人に対して握手を求めるという意思表示をすることなど一度もなかったのです

デビッド氏:私にとって奇跡の時間だ、あの光景は僕の宝となっていつまでも記憶に留まるだろう

そして東田氏にこう続けます

デビッド氏:どうしても伝えたいことがあります、自閉症が大変であることは理解しているつもりです、だけどあえてどうしても言いたい、直樹くんの自閉症に感謝しています、直樹くんが自閉症だからこそあの瞬間を迎えることができたありがとうございます、ありがとうございます

この言葉に何かを感じてなのか、戸惑っているのかはわかりませんが何かを感じている東田氏の表情が印象的です

東田直樹も一人間にすぎない

日本に帰国した東田氏は再び北九州の祖母の元に出かけ痴呆症の進む祖母にこう問いかけます

東田氏:おばあちゃんはもし迷子で泣いている子供がいたらどうしますか?

祖母;一緒にお母さんを探そうねと言いますよ

この言葉に東田氏はあることに気づきます

東田氏:おばあちゃんは何も変わっていない、昔のままの優しいおばあちゃんのままだ

特殊な能力で人間の心理を見抜ける自分もまた健常者と言われる人たちと同じように相手に肩を並べてただ同じ風景を見ることを勘違いしている・・東田氏の表情はそう思っているように私は推察しました

まとめます

東田直樹が嘘だとかやらせだと信じられない人の罠

人の話を聞くことの重要性と難しさを研究している私ですが、改めてその難しさを学ばせてもれらえる教材でした

人は如何に自分という価値観でしか物事を見ることしかできない身勝手な生きものなのか

相手と肩を並べただ同じ風景を眺めるというすこぶる単純なことができないのかを、どこか滑稽で愉快で騒がしくてそれでも愛おしく感じる東田直樹という青年を通して改めて認識させられました

まるでファンタジーのような彼の能力が信じられないとネットに書き込む人もいるようですが

そう、彼のことをこう表現したり、動物や鳥に擬人化することすら思い込みの価値観であるとわかりながら・・・・

 

大切なことを教わったのです

 

 

おわり〜!

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ono@comima.info

おのやすなり 日本コミュニテイー・マーケテイング研究会(通称コミマ) 代表 「社員のための社長史」「現代から見たあなたの過去と未来」「my life my art」などライフストーリーを伝えたいメッセージに変換し、発信を行っています。 1964年生まれ:大学卒業後、宝飾・アパレルチェーンにて、ストアマネージャー、エリアマネージャーとして勤務。その後温浴レジャー事業プロジェクトを計画していた企業に転職。取締役事業部長として複数の温浴施設、飲食店の開発、運営に携わる。 組織運営、顧客との関わりの中で重要な「理念」を伝えることを目的として会社設立。

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