先日ある方に誘われて講談を鑑賞してきました。
講談と言うと伝統芸能でなんだか小難しくて、古臭い。
オチのない落語?
そんなイメージでした、つまりよく解かっていなかったのですが実際に体験するとその臨場感は迫力がありとても面白いものでした。
何よりもまるでその場にいるような情景が目に浮かぶようなその話法は、文章を書く上でも大いに勉強になるものでした。
目次
絶対にはまる、講談と落語の違い
今回鑑賞させて頂いたのは上方女流講談師、5代目旭堂小南陵さんの独演会
講談2話と講談の演目に登場する「名刀正宗」に関連して世界の刀にまつわる様々な薀蓄(うんちく)を楽しく講義するという構成で、怒涛の迫力での2時間ライブでした
講談について簡単に説明すると
演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。上方講談においては、張り扇と拍子木を併用する。 (ウイキペデイア)
落語と比較されることが多いと思いますが、落語が基本的に一人演者が複数の人物を演じて終始会話形式で進むのに対して、講談は会話形式と情景描写を客観的な視点で説明を加え、登場人物の感情を臨場感を持って際立たせてゆきます。
もの読みと言う一面もあり、本来は講釈台に置かれた物語を読み上げるのがもともとの形のようですが、実際は落語と同じく暗記をした上で自分の言葉で話を進めてゆく演者が多いようです。
落語は話に必ず落ちがありますが、講談にはそれがありません。
効果音も含めたラジオドラマを全て一人で行う、そういった感じが解りやすいかと思います。
講釈師見てきたような嘘をつき
「講釈師見てきたような嘘をつき」これは講談を表現した有名な川柳です。
講釈師はもともと、戦国時代の御伽衆を原始としていると言われます。御伽衆は主君に召し出されて側近として仕え、政治や軍事の相談役となり、また武辺話や諸国の動静を伝えたり、世間話の相手も務める参謀役であり、主君に対して解りやすく講釈を行う必要がありました。
まるで目の前に映像が浮かぶような話法は、講釈するものが見てきたような臨場感を持って説明をしてゆく必要があったのでしょう。
娯楽としての講談は、軍機で活躍するヒーローの武勇伝や怪談ものの恐怖感をデフォルメして引き立てる必要があります。ありえないこともまるで事実であり見てきたような臨場感を持って話を行う講談師を揶揄したのがこの川柳です。
自分のフィルターを通して言葉にしてゆく技術
私をこの講談に誘ってくださったのは、元新聞記者で現在は広報ジャーナリストとして活躍されている方です。
人様のお話を聴いて、それを文字にする仕事で大切なことは何かを講談を通じて教えてくださいました。
聴いた言葉をただ文章にしても心には響かない、インタビューを通じて聴いた言葉を自分というフィルターを通してどう表現するかということが重要なことだという示唆に富んでいます。
インタビューから物語を作る作業には相手の隣で同じ物語を見てきたような取材力、それを相手の言葉を通してでどう表現してゆくかということだということです。
講談は人を引き込む為の嘘が含まれていますが、自分史ではそれは許されませんが、自分というフィルターはちゃんと通しなさい。
講談を見終わってそのことを教わった気がします。
日本人よ、講談を知ろう!!
とても感動した講談ですが、やはり落語ほどメジャーじゃありません
現在プロの落語家は八百人居ると言われていますが、プロの講談師は100名をきっているそうです。
もったいない話ですね
ご興味のある方はこちらをどうぞ→大阪講談協会 講談協会(東京)
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